2021年01月31日
「脱成長」・「コミュニティ」へ、
前略
斎藤幸平氏の言葉が出ました。
人は「コミュニズム」と言う言葉にまだ違和感を持つかも知れません、「コミュニティ」と言う言葉と同義語であると理解することが良いと思います。従って、タイトルには「コミュニティ」と表現しました。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++;;;
2021/01/30
------「脱成長コミュニズム」社会へ、危機の瞬間のチャンス到来-----斎藤幸平----
・・・・・・・
従来の経済指標では測れない新しい豊かさとは何か。資本主義や民主主義を問う声が増すなかで、人々が共感できる「新しい価値」が重要になってくる。
・・・・・・
https://forbesjapan.com/articles/detail/39486/1/1/1
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++;
──なぜ我々は「脱成長」を目指さなくてはならないのでしょうか。
資本主義のもとでは、環境への負荷や二酸化炭素の排出量をゼロにしていくというのは、やはりどう考えても不可能だからです。
・・・・・・
脱炭素化に残された時間は、2050年までのわずか30年ほどです。テクノロジーの進歩による効率化に希望を託すのは現実逃避です。資本主義は経済成長をし続けるシステムですが、経済成長のなかには経済規模を大きくし、資源やエネルギー使用量を増やすことが含まれている。経済規模が大きくなっていくことと効率化ということの間に根本的な矛盾が生じるのです。
気候危機を利用してさらなる経済成長を目指すのではなく、気候危機を起こした原因が経済成長であるということを自覚しなくてはなりません。すでに先進国の経済はこれほど発展しているにもかかわらず、ますます人々を労働に駆り立てて、さらなる消費に駆り立てています。それこそが気候危機の原因です。常に消費を煽る資本主義的な価値観を抜本的に見直さなければなりません。
資本主義は構造的に、安い労働力、特に途上国のさまざまな資源を徹底的に収奪して、先進国の人々のために快適なものをつくり出し、経済的・環境的コストを外部化します。本来、気候危機は、資本主義が不可避に生み出す構造的格差を、抜本的に直していかないといけない、という警告なのです。
・・・・・・
──脱成長やコミュニズムに抵抗感がある人も多い。生産力や生活レベルの低下を受け入れられるのでしょうか。
重要なのは、資本主義がどれだけ持続可能なものに近づいていったとしても、結局我々は潤沢な生活を享受できないということです。資本主義が絶えずいろいろなかたちで欠乏感をつくり出すからです。その欠乏というのは、例えば、絶えず新しいスマホを持ちたいというような気持ちです。希少性というのが絶えず組み込まれているのが資本主義です。そういう商品が次々と出てくるので、お金が必要になって、人々の労働時間も増えていく。
これだけ生産力が上がっていても、我々は40時間以上働かなくてはならない。逆に、余暇や家族との時間や自分に使う時間は減っていて、希少なものになっています。働くこと以外に人生の意味はいっぱいあるはずですが、それ以外の豊かさや、幸せのためのトレーニングや教養、趣味の時間もすべて、希少なものになっています。
結局、全員が長時間働くことになり、大量の商品が生産される。それを売るために広告やマーケティングが必要になる。全部、本来不要なのです。消費、労働、消費、労働というサイクルのなかで、時間が足りないストレスを常に感じ、健康も犠牲になって、お金も足りない状態になる。
だから、資本主義は経済成長を続ける限り、社会を幸福にしません。そうではない社会であれば、もっと追求できた可能性や時間的な余裕が犠牲にされてしまう。資本主義がもたらしてくれる物質的な豊かさの犠牲として手放してしまうには、あまりにも大きなものではないでしょうか。
私たちは今の資本主義のもとで、非常に競争的で、非常に消費主義的で、絶えず何かに駆り立てられていますが、むしろ、スローダウンしていくことで見えてくるような時間の使い方とか、生活のし方とか、そういうものに潤沢さがあるはずです。
ただ、脱成長だけでは駄目です。富豪が変わらずに脱成長しても、庶民は非常に苦しいまま。やはり格差を抜本的に是正する必要があるので、「コミュニズム」が必要になるのです。もちろん、ソ連や中国ではありません。資本主義のもとで独占され、希少化された富を、もう一度共有財産=コモンにしていくのです。
生活に必要な基本的なサービスであるとか、最低限必要な、電気、水、食べ物も究極的に何らかのかたちでコモンにする。教育や医療、住居なども。そうやってコモンが増えていくと、商品経済が生み出す希少性が緩和されて、人々が代わりにコモンの潤沢さを得られる。
すると、絶えざる労働のプレッシャーから解放される。社会全体としても働く時間が減っていくので、消費しないといけないもの自体も減っていく。ポジティブな循環が生まれて、代わりに人間それぞれもっと別の豊かさ、自分が思い描くより意味のある行動に活動の時間を振り分けられるようになる。
労働時間が大幅に減る結果、経済はスローダウンし、スケールダウンしますが、他方で生活自体はコモンが増えることでより安定する。大勢の人たちにとってはむしろ生活レベルが改善するでしょう。ストレスや不安、競争からも解放されるようになり、趣味や家族、友人との時間という別の豊かさが手に入る。だから、そんなに恐れる必要はありません。
経済効率や経済成長だけを豊かさや進歩と結びつけると、脱成長と聞いて「経済どうするの?」と心配になる。しかし、それをコモンにして安定させていくことで、経済成長以外のものの豊かさを回復させ、我々の別のかたちの発展や豊かさ、成長が追求できるようになるといい。
・・・・・・
──新型コロナウイルス危機で、エッセンシャルワーカーの大切さにスポットライトが当たりましたが、実際はITなどのコロナの影響を受けにくい企業が大きく株価や業績を伸ばしました。
資本主義のおかしさがはっきりしたと思います。株価は我々を犠牲にすることで成り立っているということが、誰の目にも明確になりました。
なぜ『エッセンシャル・ワーク』がきちんとした対価を得られず、一部の企業や人々が暴利を貪るのか。そういう世の中の不合理とか不条理とかバカバカしさというのが、もう否定できないほど明らかになってきたという意味では、危機の瞬間のチャンスと言えるでしょう。
・・・・・・・
+++++++++++++++++++++++++++++++++
人びとは、「脱成長とかCO2ゼロの社会には自分たちは関係ない」、と感じているようですし、政治の側からの言い分もそんな程度に思えます。(新型コロナウイルスの被害の補償に、多額の財政支出があっても、「財政大赤字」がとんでもなく大きくなっていることを全く口にもしない政治です。同様に国会の議論にCO2の議論が全くでないのと同じです。国民は「保障金さえもらえれば、財政も温暖化も知らない、悪いのは政治だからと。自分達・国民に全部のツケが回って来るのを知ってか知らずか・・。である)
企業がCO2排出ゼロに死に物狂いになっても難しそうということ、世界中で電力を石油や石炭や天然ガスを止めるなど、出来るはずがないと見ています。
場合によっては、知識人(有識者)が、やれるならやっみな、菅首相がやるんだというんだからやれば良い、そんな冷ややかな目で見ているだけである。
やっぱり有識者とはその程度でしかない、そう思います。
「有識者の学問の自由」都はないんだったのか?
「自分が「やらなければならないと考えたことこそ、自分の自由でやる」とことが学問の自由なのではないか」私間そう思います。
ですから、今の有識者と言われる方々は、「地球温暖化」地球の「気候変動」ではない「気候危機」をリア記できない人のことを言うのでしょう。
有識者の方々は、高等教育の場(例えば大学、研究機関)で、多くの税金がつぎ込まれた条件で、「学問の自由の名のもとの「研究」」をしているはずです。
地球の「気候危機」(Climate change)を理解できない様では、大した知恵は出ないのでしょう。税金分は全部返納して欲しいものです。
悪態をつくつもりはもともとありません。
しかし、日本・世界の明日を考え・実行(世界を動かす)のは、学識経験者と言われる先生方の力しかありません。
「新型コロナウイルス」対策には、尾身会長をはじめとする「医学関係の有識者」の知識と知恵が大きな役割を果たしている。
同様に、「気候危機」にも「気候関係の有識者で構成される「気候危機対策分科会」なるものを設置して、政府にキチンと諮問しなければならないはずです、有識者がそれを発議することは不思議ではない、むしろ有識者側から発議する必要性を感じているはずです。
斎藤先生等も当然のメンバーになるでしょう。いくつかの分科会があっても良いでしょう、残念ながら自動車会社の皆さんの見解だけでは困りますから。
今回の、齋藤先生の「脱成長・コミュニズム」社会、の発言に多くの反応があることを期待します。
では、草々
2021-1-31
森下克介
斎藤幸平氏の言葉が出ました。
人は「コミュニズム」と言う言葉にまだ違和感を持つかも知れません、「コミュニティ」と言う言葉と同義語であると理解することが良いと思います。従って、タイトルには「コミュニティ」と表現しました。
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2021/01/30
------「脱成長コミュニズム」社会へ、危機の瞬間のチャンス到来-----斎藤幸平----
・・・・・・・
従来の経済指標では測れない新しい豊かさとは何か。資本主義や民主主義を問う声が増すなかで、人々が共感できる「新しい価値」が重要になってくる。
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https://forbesjapan.com/articles/detail/39486/1/1/1
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++;
──なぜ我々は「脱成長」を目指さなくてはならないのでしょうか。
資本主義のもとでは、環境への負荷や二酸化炭素の排出量をゼロにしていくというのは、やはりどう考えても不可能だからです。
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脱炭素化に残された時間は、2050年までのわずか30年ほどです。テクノロジーの進歩による効率化に希望を託すのは現実逃避です。資本主義は経済成長をし続けるシステムですが、経済成長のなかには経済規模を大きくし、資源やエネルギー使用量を増やすことが含まれている。経済規模が大きくなっていくことと効率化ということの間に根本的な矛盾が生じるのです。
気候危機を利用してさらなる経済成長を目指すのではなく、気候危機を起こした原因が経済成長であるということを自覚しなくてはなりません。すでに先進国の経済はこれほど発展しているにもかかわらず、ますます人々を労働に駆り立てて、さらなる消費に駆り立てています。それこそが気候危機の原因です。常に消費を煽る資本主義的な価値観を抜本的に見直さなければなりません。
資本主義は構造的に、安い労働力、特に途上国のさまざまな資源を徹底的に収奪して、先進国の人々のために快適なものをつくり出し、経済的・環境的コストを外部化します。本来、気候危機は、資本主義が不可避に生み出す構造的格差を、抜本的に直していかないといけない、という警告なのです。
・・・・・・
──脱成長やコミュニズムに抵抗感がある人も多い。生産力や生活レベルの低下を受け入れられるのでしょうか。
重要なのは、資本主義がどれだけ持続可能なものに近づいていったとしても、結局我々は潤沢な生活を享受できないということです。資本主義が絶えずいろいろなかたちで欠乏感をつくり出すからです。その欠乏というのは、例えば、絶えず新しいスマホを持ちたいというような気持ちです。希少性というのが絶えず組み込まれているのが資本主義です。そういう商品が次々と出てくるので、お金が必要になって、人々の労働時間も増えていく。
これだけ生産力が上がっていても、我々は40時間以上働かなくてはならない。逆に、余暇や家族との時間や自分に使う時間は減っていて、希少なものになっています。働くこと以外に人生の意味はいっぱいあるはずですが、それ以外の豊かさや、幸せのためのトレーニングや教養、趣味の時間もすべて、希少なものになっています。
結局、全員が長時間働くことになり、大量の商品が生産される。それを売るために広告やマーケティングが必要になる。全部、本来不要なのです。消費、労働、消費、労働というサイクルのなかで、時間が足りないストレスを常に感じ、健康も犠牲になって、お金も足りない状態になる。
だから、資本主義は経済成長を続ける限り、社会を幸福にしません。そうではない社会であれば、もっと追求できた可能性や時間的な余裕が犠牲にされてしまう。資本主義がもたらしてくれる物質的な豊かさの犠牲として手放してしまうには、あまりにも大きなものではないでしょうか。
私たちは今の資本主義のもとで、非常に競争的で、非常に消費主義的で、絶えず何かに駆り立てられていますが、むしろ、スローダウンしていくことで見えてくるような時間の使い方とか、生活のし方とか、そういうものに潤沢さがあるはずです。
ただ、脱成長だけでは駄目です。富豪が変わらずに脱成長しても、庶民は非常に苦しいまま。やはり格差を抜本的に是正する必要があるので、「コミュニズム」が必要になるのです。もちろん、ソ連や中国ではありません。資本主義のもとで独占され、希少化された富を、もう一度共有財産=コモンにしていくのです。
生活に必要な基本的なサービスであるとか、最低限必要な、電気、水、食べ物も究極的に何らかのかたちでコモンにする。教育や医療、住居なども。そうやってコモンが増えていくと、商品経済が生み出す希少性が緩和されて、人々が代わりにコモンの潤沢さを得られる。
すると、絶えざる労働のプレッシャーから解放される。社会全体としても働く時間が減っていくので、消費しないといけないもの自体も減っていく。ポジティブな循環が生まれて、代わりに人間それぞれもっと別の豊かさ、自分が思い描くより意味のある行動に活動の時間を振り分けられるようになる。
労働時間が大幅に減る結果、経済はスローダウンし、スケールダウンしますが、他方で生活自体はコモンが増えることでより安定する。大勢の人たちにとってはむしろ生活レベルが改善するでしょう。ストレスや不安、競争からも解放されるようになり、趣味や家族、友人との時間という別の豊かさが手に入る。だから、そんなに恐れる必要はありません。
経済効率や経済成長だけを豊かさや進歩と結びつけると、脱成長と聞いて「経済どうするの?」と心配になる。しかし、それをコモンにして安定させていくことで、経済成長以外のものの豊かさを回復させ、我々の別のかたちの発展や豊かさ、成長が追求できるようになるといい。
・・・・・・
──新型コロナウイルス危機で、エッセンシャルワーカーの大切さにスポットライトが当たりましたが、実際はITなどのコロナの影響を受けにくい企業が大きく株価や業績を伸ばしました。
資本主義のおかしさがはっきりしたと思います。株価は我々を犠牲にすることで成り立っているということが、誰の目にも明確になりました。
なぜ『エッセンシャル・ワーク』がきちんとした対価を得られず、一部の企業や人々が暴利を貪るのか。そういう世の中の不合理とか不条理とかバカバカしさというのが、もう否定できないほど明らかになってきたという意味では、危機の瞬間のチャンスと言えるでしょう。
・・・・・・・
+++++++++++++++++++++++++++++++++
人びとは、「脱成長とかCO2ゼロの社会には自分たちは関係ない」、と感じているようですし、政治の側からの言い分もそんな程度に思えます。(新型コロナウイルスの被害の補償に、多額の財政支出があっても、「財政大赤字」がとんでもなく大きくなっていることを全く口にもしない政治です。同様に国会の議論にCO2の議論が全くでないのと同じです。国民は「保障金さえもらえれば、財政も温暖化も知らない、悪いのは政治だからと。自分達・国民に全部のツケが回って来るのを知ってか知らずか・・。である)
企業がCO2排出ゼロに死に物狂いになっても難しそうということ、世界中で電力を石油や石炭や天然ガスを止めるなど、出来るはずがないと見ています。
場合によっては、知識人(有識者)が、やれるならやっみな、菅首相がやるんだというんだからやれば良い、そんな冷ややかな目で見ているだけである。
やっぱり有識者とはその程度でしかない、そう思います。
「有識者の学問の自由」都はないんだったのか?
「自分が「やらなければならないと考えたことこそ、自分の自由でやる」とことが学問の自由なのではないか」私間そう思います。
ですから、今の有識者と言われる方々は、「地球温暖化」地球の「気候変動」ではない「気候危機」をリア記できない人のことを言うのでしょう。
有識者の方々は、高等教育の場(例えば大学、研究機関)で、多くの税金がつぎ込まれた条件で、「学問の自由の名のもとの「研究」」をしているはずです。
地球の「気候危機」(Climate change)を理解できない様では、大した知恵は出ないのでしょう。税金分は全部返納して欲しいものです。
悪態をつくつもりはもともとありません。
しかし、日本・世界の明日を考え・実行(世界を動かす)のは、学識経験者と言われる先生方の力しかありません。
「新型コロナウイルス」対策には、尾身会長をはじめとする「医学関係の有識者」の知識と知恵が大きな役割を果たしている。
同様に、「気候危機」にも「気候関係の有識者で構成される「気候危機対策分科会」なるものを設置して、政府にキチンと諮問しなければならないはずです、有識者がそれを発議することは不思議ではない、むしろ有識者側から発議する必要性を感じているはずです。
斎藤先生等も当然のメンバーになるでしょう。いくつかの分科会があっても良いでしょう、残念ながら自動車会社の皆さんの見解だけでは困りますから。
今回の、齋藤先生の「脱成長・コミュニズム」社会、の発言に多くの反応があることを期待します。
では、草々
2021-1-31
森下克介
Posted by もりかつ at 08:19│Comments(0)