2016年12月25日
食料自給議論
前略;
食料自給に関して「有識者」の弁です;「シンガポールには農地はない、安くて良い物を自由に買える。農産物を売り込たい国は沢山ある。世界最大の食糧輸入国になればものすごい交渉力を持つ。いざと言う危機が本当に有るのか。それが心配ならリスクヘッジとしてアルゼンチンやオーストラリア、米国、カナダ、タイ、ベトナム、ウクライナ等に輸入国を分散すればいい。これらすべての国が日本への輸出を拒否することはまずない。有るなら、世界中の国が日本を嫌った場合だ。その可能性は限りなくゼロ近い。
こう割りさえすれば、日本は世界中で最適地生産が出来ることになる。」
と言い。
更に続けて、「自給率を高めれば安全性が上がると思っている人は、実は大きな間違いを犯している。食料の自給率を高めても、その時に石油備蓄は180日分しかない・・・。」と議論を続けている。
まず最初の議論には重要な視点が欠けています。
即ち、地球気象異常、地球環境異常、輸送の為の原油等の高騰、日本の経常収支赤字等経済条件の悪化等多くの不安要因の可能性がある。現状の延長戦だけでの議論で国民を説得できるものではない。
そこで、「WTOがフルに発行した場合」の対応こそ考えなければならない(本来はこの条約が成立するまでに日本の立場を明確に反映させなければいけなかった)。
IPCCが言う「2100年にはGHG排出ゼロ。2050年には日本のGHG80%削減」と言う重大な課題と平行して考えなければならない。
まず、流通の為のエネルギー価格が上がり食糧輸入は無理になる。国内で生産の場合でも流通コストは高騰するので、自給自足・地産地消でなくてはならない。
一方で、GDPを構成する工業生産(自動車産業等)や流通サービス産業等は、エネルギーコストの高騰に伴って成り立たなくなる。そのための国民の労働力はそこで賃金を得て生きる為の食料を手にしていた。従って、職場が無くなったその労働力で「自分の食料を自分で作る」ことになれば良い。WTO対策としてもこれ以上の方策はないと思います。
まさにこの自給自足の生活こそこれから「GHGの排出ゼロ」に向けた時代の社会の核になるコンセプトと考え、その実現を国家社会で実現していくことこそ有識者といわれる多くの方々に課された御仕事と思います。
まとまりませんがご理解戴きたく。
宜しくお取計らい下さい。
草々
2016-12-25
森下克介
食料自給に関して「有識者」の弁です;「シンガポールには農地はない、安くて良い物を自由に買える。農産物を売り込たい国は沢山ある。世界最大の食糧輸入国になればものすごい交渉力を持つ。いざと言う危機が本当に有るのか。それが心配ならリスクヘッジとしてアルゼンチンやオーストラリア、米国、カナダ、タイ、ベトナム、ウクライナ等に輸入国を分散すればいい。これらすべての国が日本への輸出を拒否することはまずない。有るなら、世界中の国が日本を嫌った場合だ。その可能性は限りなくゼロ近い。
こう割りさえすれば、日本は世界中で最適地生産が出来ることになる。」
と言い。
更に続けて、「自給率を高めれば安全性が上がると思っている人は、実は大きな間違いを犯している。食料の自給率を高めても、その時に石油備蓄は180日分しかない・・・。」と議論を続けている。
まず最初の議論には重要な視点が欠けています。
即ち、地球気象異常、地球環境異常、輸送の為の原油等の高騰、日本の経常収支赤字等経済条件の悪化等多くの不安要因の可能性がある。現状の延長戦だけでの議論で国民を説得できるものではない。
そこで、「WTOがフルに発行した場合」の対応こそ考えなければならない(本来はこの条約が成立するまでに日本の立場を明確に反映させなければいけなかった)。
IPCCが言う「2100年にはGHG排出ゼロ。2050年には日本のGHG80%削減」と言う重大な課題と平行して考えなければならない。
まず、流通の為のエネルギー価格が上がり食糧輸入は無理になる。国内で生産の場合でも流通コストは高騰するので、自給自足・地産地消でなくてはならない。
一方で、GDPを構成する工業生産(自動車産業等)や流通サービス産業等は、エネルギーコストの高騰に伴って成り立たなくなる。そのための国民の労働力はそこで賃金を得て生きる為の食料を手にしていた。従って、職場が無くなったその労働力で「自分の食料を自分で作る」ことになれば良い。WTO対策としてもこれ以上の方策はないと思います。
まさにこの自給自足の生活こそこれから「GHGの排出ゼロ」に向けた時代の社会の核になるコンセプトと考え、その実現を国家社会で実現していくことこそ有識者といわれる多くの方々に課された御仕事と思います。
まとまりませんがご理解戴きたく。
宜しくお取計らい下さい。
草々
2016-12-25
森下克介
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08:12
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2016年12月20日
パラダイムの転換
手許に「生命を紡ぐ農の技術」明峰哲夫、コモンズ、2016、が有ります。
代2章「低投入・安定型の栽培へ」(中島紀一)で、
「さまざまな地域、職種、立場の人びとが、それぞれに植物の栽培に参加する。そのような穏やかな農の営みを日本列島中に、世界中に広めなければならない。」と結んでいます。
実は、私の考えている社会像からも、「それぞれの家族単位で、数反歩の耕地を持ち、稲作の水田と野菜等の畑を耕す暮らし。それぞれの家族は地域に集合した住宅区域に住み教育・医療等を一括して受ける政治・行政地域、そこで地域の工業・商業がすべてまかなわれ、耕作地にはモノレールゴンドラでそれぞれの場所に通い基本は自給自足の社会生活を送る。エネルギーは太陽光・風力等再生可能エネルギーをキャパシター型の蓄電池を併用して用いる。電力は水素えを作りボンベ(800気圧)で、内燃機関用に使用し、小型の耕運機等を利用する社会。」
此れが、2100年までにGHGの排出ゼロの社会の核に成るのではないか、と考えています。
まだまだ具体的には課題が有ります。
何とか多くの課題を解決するための知恵を出したいと毎日考えています。
今日はこの辺で、
では又
もりかつ
代2章「低投入・安定型の栽培へ」(中島紀一)で、
「さまざまな地域、職種、立場の人びとが、それぞれに植物の栽培に参加する。そのような穏やかな農の営みを日本列島中に、世界中に広めなければならない。」と結んでいます。
実は、私の考えている社会像からも、「それぞれの家族単位で、数反歩の耕地を持ち、稲作の水田と野菜等の畑を耕す暮らし。それぞれの家族は地域に集合した住宅区域に住み教育・医療等を一括して受ける政治・行政地域、そこで地域の工業・商業がすべてまかなわれ、耕作地にはモノレールゴンドラでそれぞれの場所に通い基本は自給自足の社会生活を送る。エネルギーは太陽光・風力等再生可能エネルギーをキャパシター型の蓄電池を併用して用いる。電力は水素えを作りボンベ(800気圧)で、内燃機関用に使用し、小型の耕運機等を利用する社会。」
此れが、2100年までにGHGの排出ゼロの社会の核に成るのではないか、と考えています。
まだまだ具体的には課題が有ります。
何とか多くの課題を解決するための知恵を出したいと毎日考えています。
今日はこの辺で、
では又
もりかつ
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14:51
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2016年12月14日
NASA式健康法
アメリカの「NASA」になにがある?
「NASA式最強の健康法」(ポプラ社)「座りすぎを止めると、脳と体が変わる」と有ります。
宇宙船の中での生活が、無重力での暮らしが、人体に与える影響は計り知れないようです。何年もその状態で暮したら、人類が人類ではなくなる様でもあります。
しかし、地球上で暮している「現在の人類は、幸せか?」と問えば、「世界の人々の健康状態は悪化している」と言うのです。
問題の元凶は、ウイルスでも有害な汚染物質でもない、おそらく産業革命の間に都会化されていったライフスタイルの変化こそが原因である、と言う。
この変化は20世紀になると加速し、ますます体を動かさない仕事をしながら、必要ないほどたくさん食べている。生活が豊かになり、殆どの家庭に車が普及し、体を動かすことはますます減った。エレクトロニクス革命があとに続いた。
テクノロジーを手放して現代の便利さを断念して「昔の暮らし」に戻ることは出来ないか?
重力の無い宇宙で過ごしたことによって明らかにされた。
宇宙の研究から、わたしたちの体は、強度が低く、頻繁で、断続的な動きの変化から、重力の刺激を一番感じ取って反応することがわかっている。従って、「地球で一生健康かまま暮したければ、変化に飛んださまざまな動作を、365日休まずやリ続けること。」と結論付けている。
まさに、現代からあの「懐かしい未来」への招待状が、アメリカの{NASA」から世界に向けて発送されたのです。
意外なところに、人類の選択を迫る情報が有るものである。
リスク社会の云うリスクの一つであるとも思います。
それではまた、
もりかつ
「NASA式最強の健康法」(ポプラ社)「座りすぎを止めると、脳と体が変わる」と有ります。
宇宙船の中での生活が、無重力での暮らしが、人体に与える影響は計り知れないようです。何年もその状態で暮したら、人類が人類ではなくなる様でもあります。
しかし、地球上で暮している「現在の人類は、幸せか?」と問えば、「世界の人々の健康状態は悪化している」と言うのです。
問題の元凶は、ウイルスでも有害な汚染物質でもない、おそらく産業革命の間に都会化されていったライフスタイルの変化こそが原因である、と言う。
この変化は20世紀になると加速し、ますます体を動かさない仕事をしながら、必要ないほどたくさん食べている。生活が豊かになり、殆どの家庭に車が普及し、体を動かすことはますます減った。エレクトロニクス革命があとに続いた。
テクノロジーを手放して現代の便利さを断念して「昔の暮らし」に戻ることは出来ないか?
重力の無い宇宙で過ごしたことによって明らかにされた。
宇宙の研究から、わたしたちの体は、強度が低く、頻繁で、断続的な動きの変化から、重力の刺激を一番感じ取って反応することがわかっている。従って、「地球で一生健康かまま暮したければ、変化に飛んださまざまな動作を、365日休まずやリ続けること。」と結論付けている。
まさに、現代からあの「懐かしい未来」への招待状が、アメリカの{NASA」から世界に向けて発送されたのです。
意外なところに、人類の選択を迫る情報が有るものである。
リスク社会の云うリスクの一つであるとも思います。
それではまた、
もりかつ
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11:19
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2016年12月13日
リスク社会ー2
前略;
リスク社会とは、「外部不経済」というようなものに近い考え方かとも思っていたのですが、そうではないようです。
もっと範囲の広い、勿論GDPの枠外の概念のようです。
例えば、
1、生産力の発展で最も進んだ段階で生ずるリスクとして考えられるのは、人間が直接知覚出来ない放射線であり、又空気・水・食品等に含まれる有毒・有害物質である。
2、近代化に伴うリスクは階級の図式を破壊する「ブーメラン効果」を内包している。富裕な者も、権力を有する者も、リスクの前に安全ではない。しかしそのリスクは健康に対する危険性としてだけでなく、利益や所有や権限に対する危険性としても現れる。
3、リスクが蔓延し市場で取引されるようになるとリスクは資本主義的な発展の論理から切り離されるのではなく、むしろその論理を新たな段階へと押し上げる。近代化に伴うリスクはビック・ビジネスとなる。
4、単純に図式化すれば、階級社会においては存在が意識を規定するが、リスク社会においては意識が存在を規定する。知識が新たな政治的意味を獲得する。
5、社会的に認知されたリスクはそれ固有の政治的紛争の火種を抱えている。それまで非政治的なものとみなされてきたものが政治的なものとなる。自然と人間に対する健康上の影響という問題だけではない。
結構難しい言い回しで、その実態をキチント認識するのは難しい面があっるお思います、しかし現在の人類社会こそこの様に社会のすべてがリスクとして考えなければ生らず、そこにこそ新しい未来があるということと思います。
GHG排出削減、ごみの分別等々という次元以上の認識とそのリスク対策を考えなえれば生らない時代です。
われながら、未消化の感は有るものの、外せないもの。
それではまた。
もりかつ
リスク社会とは、「外部不経済」というようなものに近い考え方かとも思っていたのですが、そうではないようです。
もっと範囲の広い、勿論GDPの枠外の概念のようです。
例えば、
1、生産力の発展で最も進んだ段階で生ずるリスクとして考えられるのは、人間が直接知覚出来ない放射線であり、又空気・水・食品等に含まれる有毒・有害物質である。
2、近代化に伴うリスクは階級の図式を破壊する「ブーメラン効果」を内包している。富裕な者も、権力を有する者も、リスクの前に安全ではない。しかしそのリスクは健康に対する危険性としてだけでなく、利益や所有や権限に対する危険性としても現れる。
3、リスクが蔓延し市場で取引されるようになるとリスクは資本主義的な発展の論理から切り離されるのではなく、むしろその論理を新たな段階へと押し上げる。近代化に伴うリスクはビック・ビジネスとなる。
4、単純に図式化すれば、階級社会においては存在が意識を規定するが、リスク社会においては意識が存在を規定する。知識が新たな政治的意味を獲得する。
5、社会的に認知されたリスクはそれ固有の政治的紛争の火種を抱えている。それまで非政治的なものとみなされてきたものが政治的なものとなる。自然と人間に対する健康上の影響という問題だけではない。
結構難しい言い回しで、その実態をキチント認識するのは難しい面があっるお思います、しかし現在の人類社会こそこの様に社会のすべてがリスクとして考えなければ生らず、そこにこそ新しい未来があるということと思います。
GHG排出削減、ごみの分別等々という次元以上の認識とそのリスク対策を考えなえれば生らない時代です。
われながら、未消化の感は有るものの、外せないもの。
それではまた。
もりかつ
Posted by もりかつ at
15:46
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2016年12月09日
「リスク社会」
なかなか先に進めない。
最近「世界リスク社会」ウルリッヒ・ベック著、を斜め読みした。悪文とかで、読みにくい感じ。
インターネットで評論記事を見たら、「人類は今日、そして将来も、言わば「文明の黙示的災禍」に怯えながら、自らが招いたリスクに対する解決策を、あらゆる境界を越えたところに見出し推進していかなければならない。この様な傾向へのインパクトは、今日既に感じることができる。」
「環境問題が実質的に有意義に解決されうるのは、ただ国境を越えた交渉や国際的な協定によるほかにない。環境問題を解決する道は、したがって軍事同盟の枠を越えた会議や話し合いを持つことにつながる。」
こんな文章に出会った。リスク社会の中央にこの環境問題があり、それは世界的な活動が必要ということ。
以前、HGウエルズが、世界政府を主張した。現実的な解決策として、「覇権国アメリカ」を中心とした世界政府でも仕方がないが、人類の世界、更に生態系の地球を未来に向けて、持続するための方法として「世界政府」が必要と言って第二次大戦後この世を去った。(宇宙戦争など文筆活動を一生懸命行ったが、世界政治には手を出せなかったまま・・。)
最近、GHGとGDPを関係付けるために何かないかと調べたら、1951年から今日までのGDPと販売電力量の傾向がピッタリ重なるグラフを見た。(野口悠紀雄氏等)
又、一次エネルギーの消費量のグラフとGDPのグラフも殆ど重なるグラフも出てきた。
日本のエネルギーバランス図で、二次エネルギーとしては、「電気;4割」・「燃料・原料;6割」という事である。
最終消費については「民生家庭;2割弱」「民生業務;約2割」「運輸;2割強」「産業;4割強」と有ります。
更に民生家庭の内訳は「冷暖房;30%、給湯;28%、厨房;8%、動力照明等;35%」と有ります。
最近の講演会で、エネルギーに関する質問をしてみたのですが、「私たちの省エネは照明を消したり水を節約したりしても30%の内の僅かしか有りませんね」という問いに良くわからない回答でした。
実際には直接私たちが直接管理消費しているのが、「民生家庭」の30%分野で有るとはいえ、家庭で消費している「食料」の生産・運搬・物販に伴って、又家庭で使用している「家電・家具等」の購入消費に伴って産業・運輸・民生業務夫々のエネルギー消費を行っていることに成る訳です。責任は30%ではないと思います。
従って、すべてのGDP及び国内での一次エネルギー消費及びGHG排出は、国民個々人が消費・排出をしているわけです。
GDPは国民生産であるだけでなく、国民所得であり国民消費であるわけです。更に言えば、今回の「リスク社会」の「国民総リスク生産」でも有り、「総リスク消費」(リスクを負う)でもあるわけです。本来は之が「国民総リスク削減」になっていない現実でもあるわけです。
「デープエコロジー」では、自分達が自然を破壊(使用)した分は再生されてからしか使用(破壊)出来ないということです。
現在のように、地下資源(化石燃料等)や大気・水を破壊・汚染し放題の時代は、まさに「黙示的災禍」のど真ん中で暮しているということではないでしょうか。
やはり、今の時代の流れは、非常に困ったものです。リスク社会とはこんな社会・時代のことのようです(無責任なお資本主義・金儲け主義・・・)。
そうすると、自分達が育った「戦後の昭和の貧しい時代」それでも多くの自然破壊が行われていたが、少なくともその時代までは戻る事が出来そうに思います。自分が体験したという根拠で。この辺りが限界的な「懐かしい未来」の第一ステップかもしれないと思います。
私は、それでも「電気」と「インターネット」は最小限の量を確保したいと思いながら、無農薬・無肥料の水稲栽培に挑戦しています。
「エコロジカルフットプリント」を考えると、まだまだ甘い・・。
今回はこの辺で、又。
もりかつ
最近「世界リスク社会」ウルリッヒ・ベック著、を斜め読みした。悪文とかで、読みにくい感じ。
インターネットで評論記事を見たら、「人類は今日、そして将来も、言わば「文明の黙示的災禍」に怯えながら、自らが招いたリスクに対する解決策を、あらゆる境界を越えたところに見出し推進していかなければならない。この様な傾向へのインパクトは、今日既に感じることができる。」
「環境問題が実質的に有意義に解決されうるのは、ただ国境を越えた交渉や国際的な協定によるほかにない。環境問題を解決する道は、したがって軍事同盟の枠を越えた会議や話し合いを持つことにつながる。」
こんな文章に出会った。リスク社会の中央にこの環境問題があり、それは世界的な活動が必要ということ。
以前、HGウエルズが、世界政府を主張した。現実的な解決策として、「覇権国アメリカ」を中心とした世界政府でも仕方がないが、人類の世界、更に生態系の地球を未来に向けて、持続するための方法として「世界政府」が必要と言って第二次大戦後この世を去った。(宇宙戦争など文筆活動を一生懸命行ったが、世界政治には手を出せなかったまま・・。)
最近、GHGとGDPを関係付けるために何かないかと調べたら、1951年から今日までのGDPと販売電力量の傾向がピッタリ重なるグラフを見た。(野口悠紀雄氏等)
又、一次エネルギーの消費量のグラフとGDPのグラフも殆ど重なるグラフも出てきた。
日本のエネルギーバランス図で、二次エネルギーとしては、「電気;4割」・「燃料・原料;6割」という事である。
最終消費については「民生家庭;2割弱」「民生業務;約2割」「運輸;2割強」「産業;4割強」と有ります。
更に民生家庭の内訳は「冷暖房;30%、給湯;28%、厨房;8%、動力照明等;35%」と有ります。
最近の講演会で、エネルギーに関する質問をしてみたのですが、「私たちの省エネは照明を消したり水を節約したりしても30%の内の僅かしか有りませんね」という問いに良くわからない回答でした。
実際には直接私たちが直接管理消費しているのが、「民生家庭」の30%分野で有るとはいえ、家庭で消費している「食料」の生産・運搬・物販に伴って、又家庭で使用している「家電・家具等」の購入消費に伴って産業・運輸・民生業務夫々のエネルギー消費を行っていることに成る訳です。責任は30%ではないと思います。
従って、すべてのGDP及び国内での一次エネルギー消費及びGHG排出は、国民個々人が消費・排出をしているわけです。
GDPは国民生産であるだけでなく、国民所得であり国民消費であるわけです。更に言えば、今回の「リスク社会」の「国民総リスク生産」でも有り、「総リスク消費」(リスクを負う)でもあるわけです。本来は之が「国民総リスク削減」になっていない現実でもあるわけです。
「デープエコロジー」では、自分達が自然を破壊(使用)した分は再生されてからしか使用(破壊)出来ないということです。
現在のように、地下資源(化石燃料等)や大気・水を破壊・汚染し放題の時代は、まさに「黙示的災禍」のど真ん中で暮しているということではないでしょうか。
やはり、今の時代の流れは、非常に困ったものです。リスク社会とはこんな社会・時代のことのようです(無責任なお資本主義・金儲け主義・・・)。
そうすると、自分達が育った「戦後の昭和の貧しい時代」それでも多くの自然破壊が行われていたが、少なくともその時代までは戻る事が出来そうに思います。自分が体験したという根拠で。この辺りが限界的な「懐かしい未来」の第一ステップかもしれないと思います。
私は、それでも「電気」と「インターネット」は最小限の量を確保したいと思いながら、無農薬・無肥料の水稲栽培に挑戦しています。
「エコロジカルフットプリント」を考えると、まだまだ甘い・・。
今回はこの辺で、又。
もりかつ
Posted by もりかつ at
11:12
│Comments(0)