2018年02月22日

「人間」の定義の再定義を吹聴したい

前略;
人間の定義の話題が、インターネットに出ていた。

  1、ホモ・サピエンス (英知人) リンネ (スエーデン)
  2、ホモ・フェノメノン (現象人) カント (ドイツ)
  3、ホモ・ファーベル  (工作人) ベルグソン (フランス)
  4、ホモ・ルーデンス  (遊戯人) ホイジンガ (オランダ)
  5、ホモ・ペイシェンス (苦悩人) フランクル (オーストリア)
  6、ホモ・エコノミクス (経済人) スミス  (イギリス)
  7、ホモ・ポリティクス (政治人) アリストテレス (古ギリシャ)

多くの事例が出ていたが、どれも「一神教的」な世界観のものばかりである。
やはり、ここに追加します。
  8、「ホモ・バイオノミクス」(自然人)又は(生態人)とも言えそうですが、やはり(自然人)がいいと思います。

更に、(1、~7、)の表現は「現状の人間を見てそれに言葉を宛てた」ものと言えそうですが、
この(8、)では、「有るべき人間像」を意味しています。
そういう意味では、議論の対象でもあり、人間の本質を示すことになるものと思います。

これからは、大いに「ホモ・バイオノミクス」を吹聴してもらいたいと思います。
こんなことで、今日は終わります。
草々
2018-2-22
森下克介
  


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2018年02月21日

2月21日の記事

前略、
「ビルビリー・エレジー」J・D・ヴァンス、光文社、2017-3
を読んでいて、「人生の成功」とは何か?と検索をした。
こんなジョークが出てきた。
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「人生の「成功」をつかむにはコツがあった!私たちはなぜ、社会の「バカバカしさ」に負けるのかに学ぶ「人生の教訓」   真梨 幸子

ーーーー「 MBAを取った大バカ者」ーーーー
「億万長者」というアメリカンジョークをご存知でしょうか。
ちょっと長いお話なので、さくっと要約してみますと。

・・・・日が高くなるまでゆっくり寝て。日中は自分と家族が食べる分だけの魚を取って。午後は子供と遊んで妻と昼寝して。夜は友人と一杯やったり歌ったりギターを弾いたりして。……そんな風にまったりと暮している漁師が、メキシコの田舎町に住んでいました。

あるとき、ハーバードビジネススクールでMBAを取得したというアメリカ人旅行者が漁師に話しかけてきました。
「なんてこったい! なんてみみっちい生活をしているんだい?なぜもっと働かない?
漁の時間を増やして魚をじゃんじゃん取るんだ。そして売るんだよ。そうすれば儲けることができるんだからさ。儲けた金で漁船を増やして、水産加工工場なんかも作って経営者になれば、マンハッタンにオフィスを構えることもできるんだぜ?

わおっ!マンハッタンの社長だぜ? 大金持ちだぜ? おっと、それで終わりじゃない。 最終的には会社の株を高くで売るんだよ。 一気に億万長者だぜ!

ここまできたらもう働く必要はない。
仕事からは引退。海辺の田舎町に移り住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は自分と家族が食べる分だけの魚を取って、午後は子供と遊んで妻と昼寝して、夜は友人と一杯やったり歌ったりギターを弾いて過ごすんだよ。どうだい? 夢のような「幸せ」じゃないか!最高の「成功」じゃないか!」

……なんとも、皮肉のきいたジョークです。いや、ジョークでは済まされない普遍的な人生の教訓が含まれているような気がして、ことあるごとにこのジョークを思い出してしまいます。そして考えます。「幸せ」とは?「成功」とは?
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
私の言おうとしている、「自給自足・地産地消」の「河川流域圏の自治州」という社会は、こんな回りくどいことをしなくとも、最初から漁師、私の場合は農業(少しばかりの田んぼで米を作って暮している)、の生活をして暮せば良い。
こんな程度で多くの人を説得するのは無理でしょうが、基本はこんなことを考えます。

今日はここまで。
草々
2018-2-21
森下克介

  


Posted by もりかつ at 10:12Comments(0)

2018年02月20日

無限の水素社会へ

前略;
既に始まっている、世界の時代の流れに必要なもの。

2100年以前に人為的GHGの100%を削減しなければならないのです。
そこは、「懐かしい未来」といえども、「水素エネルギー社会」でもなければならない。さもなくば「イースター島」になってしまうでしょう。

そこは、今のように「工業社会」(GHG排出社会)では有り得ないので、「ソフトエネルギー社会」でなければならないのです。「ソフトエネルギー」は無限です(再生可能エネルギーともいわれる通り)、しかしそれを無限に使うためには;まず、無限に使える「太陽光パネル」(これからの最大課題)、無限に使える「二次電池」(キャパシター式にカーボンナノチュウーブ)、無限に使える「水素エンジン」(嘗ての技術のリファイン)、無限に使える「食料生産財」(耕運機・田植機・バインダー・脱穀機・籾摺機・精米機・炊飯器等々;「米」は水管理さえすれば化学肥料無しでレンゲだけで、「麦」の収量の倍近い生産が無限に可能です)を今から開発しなければなりません。

一つの考え方として、将来のGHG外出枠内での「埋没コスト」として、まさに今、着手し完成させる必要があります。
このように考えます。これからの「政治プロジェクト」は、すぐそこにある「懐かしい未来」の「無限に続く水素社会」が完成されるためのものでなければならないでしょう。

尚;「懐かしい未来の社会」は「河川を中心とした流域圏(里地・里山・里海)の自治州」を基本とした、自給自足・地産池消の社会」になると思います。
まとまりません。宜しくお取計らい下さい。
草々
2018-2-18
森下克介
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前略;
もう一度メール致します。
私お考え方の基本をご連絡いたします。
――「ホモ・エコノミクス」から「ホモ・バイオノミクス」――です。

現在の世の中は、金儲けだけが正義です。人びとが企業で働くのはこの「金儲けファースト」だけのためです。人の情けも金儲けの影に隠れます。公僕と云われる人達ですら、話題の「政務活動費」も言い訳をして自分のものにしようとして話題になっています。まさに、「ホモ・エコノミックス」の極でしょう。
本当の課題は、地上の森林を伐採し、海洋の魚類を乱獲し、地表を掘削し地下資源を掘り出し、有害物質を大気・地表・地中・海洋に撒き散らしています、地球がどの様に成ろうとも金儲けが出来れば何でもやる、これが「ホモ・エコノミクス」の実態でしょう。

それに対し、私は「ホモ・バイオノミクス」を唱えます。
一神教では地上の生き物の管理を任された人間と云われるのでしょう。ここで私は、「人間も地球の生態系のひとつの種」としての存在である。そのような実認識の下で、卑下するのではなく堂々と地球上に生きてゆけば良いとお思います。
実際問題としては、今のこのような社会に暮す人類には簡単な課題ではないでしょう。しかしそのようにしなければ、「イースター島」になり、嘗ての映画「渚にて」が現実になるしかありません、私はそう思います。

舌足らずですが、宜しくお願い致します。
2018-2-20
森下克介

  


Posted by もりかつ at 16:30Comments(0)

2018年02月09日

「ブラックロック」は最高!

前略;
本日のNHKラジオで、湯浅氏がお話をしてくれた。
世界的な投資グループの「ブラック・ロック」が、「サステナブル投資(スマート投資)」を始めていると。
投資目的としては、「伝統的な投資と遜色のない運用成果を目指しながら、社会的インパクトに注目して銘柄を選定。例として、二酸化炭素排出量の削減に配慮した企業に注目して銘柄を選定する。」と有ります。

私は、更にここで「ホモ・バイオノミクス」を戦略の中心にした企業を選別する、「それが世界の求めるものである」、と宣言してもらいたい。これこそ人類が選択するべきものであるから、これが推進されれば人類の存続が可能なルートを確立できます。
そこで、これから余り猶予のないGHGの排出容量を、例えば「交通インフラ」(モノレール式の省エネでコスト的にもメンテナンスにも、運行エネルギー消費の少ないもの)、「住宅インフラ」(共同で生活をするので無駄な活動なし、社会保障等も容易;中国の円環住居に近い形で運用は社会として自給自足・地産地消)、「農林水産生産を共同化するインフラと共同組合組織」等に使用する。
これらは、「将来の埋設コスト」として永く存在し、出来るだけ維持・修理が容易な(ハイテクなし)構造とし、嘗ての鉄工所のおじさんで面倒を見ることが出来るようなものにする。
2100年を迎えて、まさにGHGの排出ゼロ(100%削減状態)の完成を実現する。

このときには、もう「ブラック・ロック」の存在価値はない、これまでの貢献こそ人類に賞賛される栄誉、記念碑を得ることになる。

これこそ「現代の貨幣経済」が「資本主義という嵐」を地球上に吹き荒した最後の勤めでしょう。
もうこれからは、蓄財や儲けの亡者は要らない、通貨は、地産地消費が成立するための、単に「生産物の交換の補助材(財ではない)」となる。「小さな行政」がこの材を集中管理し、弱者(子供・高齢者等)へ支給したり、インフラの維持・管理のために使う。
これは「協同組合」というよりも「地域全体主義」とでもいう「自治州」としての民主主義社会である。
追;社会保障の内の医療は、欧州の「寝たきり老人はいない社会」のとおりであり、嘗てのガンジーも言った「医療はなくて良い」というような社会を目指すことになるでしょう。
(現在の国家財政は社会保障の名のもとに多くの財政が占められている、このような部分を削減すれば、自治財政の運用は軽くなり可能になる。勿論世界政府で「防衛予算は要らない」、教育は嘗ての寺子屋の流れで、その他は今で言う「ボランティア」(共同運用)で賄う等々。)
自給自足の基本は、各人が食料(コメ・野菜)を栽培して暮らすことに有ります。現在の私は小型の農機具で何とかやりくりしています。(勿論、鉄工所の世話になりながらです)
余り煮詰まらない話です。

この2100年を迎える時代こそ、「ホモ・バイオノミクス」に「ホモ・サピエンス」の知恵が大いなる意味を持ちます。

まとまりません。今日はここまで。
草々
2018-2-9
森下克介
  


Posted by もりかつ at 14:01Comments(0)