2017年11月27日

子供の「幸せ」とは

前略;
「子育ての本」を見ますと、
「この子には幸せになってもらいたい」と総ての親が願うものです。と有ります、自分も同じです。
この「幸せ」とは、「精神的にも物質的にも豊かな人生を送ってもらいたい」「社会の役に立つような人間に育ってもらいたい」「人にやさしく、たくましく生きてほしい」というような意味と考えられる。

ここの「・・物質的にも豊かな人生・・」と言う言葉が吟味の課題である。

さて、
現在は、人間が全員、先進国並みに物質的に豊かな人生を送ることは、不可能である。と言う共通認識の様なものが出来始めている。厳密な評価は、「エコロジカル・フットプリント」によるものである。

しかし、「地球」と言う人類を含めた多くの生命を維持する世界を「資源・エネルギー」という視点から見ると、
今までのとおりの「物質的に豊かな人生の追及」は出来ない。と言う人類の共通価値観を醸成することすら非常に困難であろう。
その上更に現在は、「ヨーロッパの産業革命以前の状態まで、「地球上のGHGのレベル」を戻したいが、それは不可能なので、気温換算で+2℃(+1.5℃)を上限にして、IPCCでは定量化した目標を設定している。

何とか、人類の生存の目的を実現するための目標を、この事実をもう少し誰でも理解しやすく、どんな表現をしても、世界中の人達が共有できる「子供の将来の有様としての願望に当るような言葉・概念」として、上手く纏まったものが無い、これから皆で作ることになろうが、
しかし、実際は「宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のような社会・人生」を幸せな人生と位置づけるような価値観にならざるを得ないと私は思います。

しかし、環境省等では「現在の生活水準を落とすことなく実現するんだ」と云っていましたし、現在でもそれを肯定こそすれ、否定する様子は全くありません。
科学技術で解決することが出来るとでも明言しようとしている様に見えます。
ひょっとして、原発が総てを解決するとでも思っているのでしょうか?

もっと多くの人達が、具体的に色んな活動を色んな場所で実践し始めることを願望します。

今日はここまで(全く進歩が無い)
草々
2017-11-27
森下克介
  


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2017年11月23日

「アラン・ワイズマン」の著書

前略;
手許に、「アラン・ワイズマン」の著書 1、「人類が消えた世界」(2008・5)と、2、「奇跡のエコ集落;ガビオタス」(2008・12)があります。
残念ながら、まだきちんとは読めていないが、

1、「人類が消えた世界」では、人類がウイルス等で短期間に滅んだとしたら、地球はどうなるだろうか?
人類の悪行(放射能、プラスチック等廃棄物等)も時間がたてばそれなりのバランス点に到達し、50億年後の太陽の膨張によって消滅してしまうだけだろうと言うことのようです。

2、「奇跡のエコ集落;ガビオタス」では、1967年南米コロンビアに自給自足の炭素排出をゼロにした集落の実験を記述している。
設立時にもいろいろ有ったようですが、結局今でも現実の世界との間で人が往来し、色んな形で資金援助を受けて存続しているとのこと。

人類は、地球の生態系の中に生まれ、資源・エネルギーを乱用し、まさに「成長の限界」に付き当ってしまいさてこれからどうしたものか、と考える為の話題の提供と思う。
人類とは、地球にとってもたいした物ではない、さらに自給自足の生活をしようと思えばそこそこに出来るというようなメッセージにも思えますが・・。

実際は、このままでの時間経過を辿ると、温暖化は進み、最大の温暖化ガスである水蒸気等も爆発的に増え、最終的には「金星」の様に数百度の大気の惑星になってしまうということは、ほぼ多数の科学者が予測している。
可能性としてはそうならないかも知れないが、そうなる可能性が高いと言うことです。
人類がいる限り、このままでは、地球は破滅です。

次に、自給自足の炭素排出をゼロにする生活が出来るかもしれないが、ここで言われている通り、外部からの資金援助とその資金による物量などの購入支援が必要な生活が考えられている訳で、地球の破壊までの時間が少し先になるだけでしょう。

さてさて、誰がこれ以上の人類存続の方法を考えてくれているのでしょう?
わたしは、
やはり、「日本の戦後の貧しいなりに平和な田舎の暮らし」なら経験者の一人として、みんなと一緒に参加できるのではないか、と思います。
(頭の中では、封建制を除外した、「江戸時代の農民の生活」のような限界的生活をイメージしています)

当然そのときには、大井川州とした自治組織が同時に出来ていて、貨幣経済は今の為替によって大騒ぎさせられるようなことの無い、誰でも考えられる普通の通貨で、市場も地域内で形成される等々、ということになる。

台風や地震災害にはきっと脆弱で、場合によっては全員が滅んでしまうかもしれません、それでも仕方ありません。
何とか地球の生態系の維持が出来て人類がその中で存続死さえすれば良いのです。
きっと数千年・数万年・数億年は生きていけるでしょう。人間同士の戦争があればまた今のように世界が混乱してたちまち人類が滅び、生態系が破綻し、地球が金星のなってしまうでしょう。
それは予測できません。

とりあえずこんなところです。
では、
草々
2017-11-23
森下克介
  


Posted by もりかつ at 15:32Comments(0)

2017年11月16日

格差を無くすって?

前略;
1、世界は格差問題が取り上げられている。
資本主義では格差こそがエネルギー源である。端的に云えば重商主義時代の海外との資源貿易で欧州は栄え、帝国主義でも植民地をその成長の源泉にした。今のグローバル化時代は格好良くWTOとか言っていても格差を源泉にした交易が基本である。この行き着く先はフロンティアが無くなって来て難しい時代になる。

2、個々人の貧富の格差を問題にしている場合には、「貧しい人を裕福に」しようとしている。政治の世界では高額の財政赤字を作り出し、社会保障費を拡大している。これでは国がやっていけなくなる。

もう一つ、地球環境問題を考えれば、世界中が先進国の生活になったら、とんでもないことになるのは火を見るより明らかである。

3、そこで、世間で言う「格差問題の解決」は、世界中が「限界の貧困生活」になることがまず必要条件になるはずです。
よく云われる通り日本では「江戸時代」、懐かしい未来では「ラダック」(ヒマラヤの辺境の生活)がまずその視野に入るわけである。

更に、人口がどこまで減らせるかと云うことになる。
「地球への環境負荷」は、「一人当たりの環境負荷」×「世界人口」であるから、格差は低いほうに合わせることになる。
世界人口は、マイクロソフトのビルゲイツが一時期、限界的に薄いコンドームの開発に資金を出すっという様なことが話題になったとおりであるが、宗教上の制約等があり人口減少はなかなか難しい。

4、何れにしても、2050年までに80%のGHG排出削減と最終的には2100年まで100%のGHG排出削減を達成するためには、どちらのレベルに合わせるかと言う以前に最低限の生活による環境負荷しか許されない。
今までの環境対策には「現状の生活レベルを維持したままで、地球環境目標を達成する」というようなコメントが入っていたように思うがそれこそ欺瞞そのものでしかなかったわけである。

5、世界はどんな力で動いて来たのだろうか?
部族社会の時代から、ある種の国家に移行し、その国家の支配者の力で、帝国になって世界制覇を目指した。そのような時代も数百年程度で分裂・滅亡し、封建的国家になり、ヨーロッパを中心に人権・自由が叫ばれ、共和制の国家の時代に移行し、現在も共和制の民主主義の時代になっている。
これらの時代の変化の誘引は、なんていうことは無い、殆どが「国家」を言いながらその経済的利害関係が中心でしかない。覇権国というのは、暴力組織としての拡大結果であり、今では経済的な大きさがその国の暴力を拡大しながら覇権を求めている。そして国家は、覇権国もその他の国家も、その利害を中心に行動している。

現在の地球環境問題を、大半の人間が理解し、そのためには命を賭けて行動する、そんな大目的を共有しなければならない。そんな大目的とは何であろうか?
イスラムの戦士では、「死んだら素晴しい天国で多くの美女にかしずかれる」と云われ、自爆テロを強行させられたとか、その場合でも、嫌と言ったら惨殺される恐怖が後押しをしたとか。世界の戦争でも、国家権力という恐ろしい力を背景に戦地に向かい戦死したのだと思う。

共和制の国家でその国家権力を手に入れるためには、有権者・国民の支持が必要であるが「これから、昔の江戸時代の生活をする」そんな党のリーダーを誰が支持するものか?
沖縄の知事には「基地反対」を主張しなければならない。「基地拡大」を主張して知事になるためには、余程の戦略を持って県民を納得させなければならない。県民が生き残るために百姓をして自給自足・地産地消の貧しい暮らしをしなければならないと主張して、知事には当選しない。
さて、最大の課題を如何にクリヤできるか?
「世界中の人が一緒に、江戸時代やヒマラヤのラダック村の生活をする社会に、至急に、移行しなければならない」と言って世界のリーダーに成れるか?
そうしなければ成らない論理をキチンと世界中に理解してもらえるか?幾らIPCCのレポートがあっても誰も本気にしない様子である。

課題は三つになる。
1、これからの江戸時代相当に社会のイメージがはっきりしないし、其処へのプロセスが見えない。
2、2050年・2100年までのGHGの排出削減プロセスが見えない。
3、現在の世界の格差をどのように清算してくれるかが判らない。

多くの書物や論文で色んな案や考え方が出されているが、皆悩んでいるんだなと思う、その先まで議論の展開が恐ろしいと感じているのではないのでしょうか?
思い切った議論と提案ができないのは何故でしょうか?
研究者や学者の皆さんはひょっとして「ずるい」のかもしれません。
環境の学者の皆さんは、会議と言って「ジェット旅客機」で世界中を飛び回ってGHGをばら撒いている、と言う批評をする人もいるようです。
インドのガンジーさんには、地位もあり力もあり信念もありでインド独立の先方を自らやったのでしょう。やはり普通の人ではないような人が動き出すまで、黙って待っているしかないのでしょうか?

今日はここまで
では、
草々
2017-11-16
森下克介
  


Posted by もりかつ at 13:27Comments(0)