2019年08月31日

「環境プロの論文」から考えると

前略
「温暖化防止」議論は、「地球環境問題」という「概念的に広大な課題」に広げられ、挙句には「電気はこまめに消しましょう・ゴミはキチンと分別しましょう」という標語に落ち着いて、それっきりです。

どうもおかしい、丁度その理解を示してくれそうな論文のタイトルを見つけました。
「環境問題の解決を妨げる近代理解の構図」
(川村久美子氏、武蔵工大情報学部解説0周年特集号、研究論文3-3)
file:///C:/Users/Owner/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/C0HP47AK/3-03.pdf

ここでもやはり最初のテーマとして「(地球)環境問題をめぐる空回りの議論」として取り上げられています。
まさに、「空回りの議論」でしょう。
温暖化問現象、資源枯渇の恐れ、などと地球に関連するということで全部一緒に取り扱っています。其処には何か「一つの概念」で把握でき教育できる様なものを期待しているように感じます。誰の話を聞いても、どの論文も同じようなものです。
例えばここでも「市場の失敗」を取り上げています。この切り口からもきっと最終的な答えが出てくるのではないかと思いますが、最後まで議論が進みません。
「議論が空回りする原因」というタイトルの項があります。ここではなぜか「一般人の視点」で考えるというのです。その結果、「・・家に帰れば相変わらず環境負荷の高いものを買っている。何かがおかしい。ただどうすれば良いのか皆目わからない。」と結んでいる。
また「もっとも、環境問題など昨今、地球規模で起きている危機的状況のために枠組み自体が揺らぎ始めている。」とも言っています。
そこで、いつもの、私の提案です。
地球環境問題の取り上げ方で、キチンと議論を遡らず、目の前の気温上昇を温暖化と考えておたおたする。海洋にプラスチックが増えたとビックリする、エネルギーは原子力でと考えたのに事故が発生して先が見えない・・・、みんな一般人の視点です。
地球温暖化問題は、「1.5℃特別報告」や「IPCC」などの言い分は「産業革命」以前の状態と比較しているわけですからその時代を考え直すしかないのではないのでしょうか? 地球環境問題全般は「ローマクラブの成長の限界」や「地球サミットの、アジェンダ21」などをイメージするだけで、面倒ではあっても、課題は「過去の世界(地球)」の資源を掘り出し、資源を消費すると同時にその結果として地球を汚染してきたのだと主張しているわけですから、いかに過去を見直しそれを再現するか」と考えるのが第一でしょう。
特に地球温暖化は、「本当に地球は温暖化しているのか?証拠は何処にある?最近の台風が大きく数が多いのはその証拠だとか、氷河が溶けているとか」いろいろ話題になっています。
しかし、考えてください、IPCCでは、「今地球が温暖化で大変だ!」と言っているのではありません。まづは、大気には地球を暖める機能があるので人類生態系が存続できているのです。
温暖化ガスはCO2をはじめ人間の活動で随分出してきたので、「このままでは大変なことになる」と未来に対する思考実験の精度が高く予測できるようになったのです。95%とかの精度だと言っているのです。
アインシュタインはブラックホールを予測しました、計算結果ですが、実際にありました。即ち、「人類の科学力での未来予測」です、これは信ずるかどうかではありません、ほぼ事実です。
なぜ、世界は動かないのでしょうか?人間は馬鹿なんでしょうか?「お金が大好きなんでしょうか」そんなものは食べられません、強欲資本主義の信者になっている金持ちが世界を動かしているだけなんでしょうか?きっとそうです。
更に科学者は、一生懸命過去を調べています、46億年前の火球の地球を考えればどうってことはないでしょうが、人間は住めません。わかる範囲で氷柱や沼や海の底から泥をボーリングして過去を調べています、生命が始まって以来、このような気温の高い時代はないので、今のままではだめです、と判断しているわけです。
結論は、「議論の空回りは、課題の本質を直視しないからです。更に強欲資本主義という宗教に汚染されてしまっているので政治(経済こそ政治である)が動かない」、やはり、20万年前から世界に広がった多産生物も知恵の限界です。
現在、似非共産主義を廃止し(ソ連の崩壊同様)、古代からの宗教(司祭自身が児童虐待をし、その自浄作用すら働かない、進化論の理解ができない、不倫に石打刑で殺害すrなど・・)は暴力団と同じです(オームやISも)、政教分離でだけでなく、議会(国連でも)排除・禁止してしまわなければなりません。
その上で、産業革命以前の社会、日本では「明治時代以前の江戸の社会」世界の各国で評価し直して、現代から見た「あるべき「産業革命前の社会」」像を作らなければならないでしょう。
それに向けて走らなければならないのです。学校教育の中での議論、教育者の間での議論、教育委員会地方を含め世界の教育委員会での議論が必要です。大企業の省エネだけでは間違いです、まさに個人個人の考えと行動こそ生きる道です。
纏まりません。
以上です
2019-8-31
森下克介
kannkyou



Posted by もりかつ at 11:48│Comments(0)
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