2019年05月30日
エベレストに登山者縦列、の愚、だけじゃない
前略;
今朝(2019・5・30)のTV報道で、
「エベレスト登山の縦列画像」があり、その有様がいかに狂気じみているかを語っていました。
下に示す「エベレスト「死のゾーン」で「渋滞」」との記事をオンラインニュースで検索した。
https://www.afpbb.com/articles/-/3227109
記事の内容は御覧の通りです。
画面を見た一瞬は、夏の「弾丸富士登山」のニュースを連想しました。
しかし、これは違います。
嘗ては、今でも、命を懸けての行動でしょう。私もその実態を知りません。
もう少し若ければ、『チャレンジできるならやってみようか』とも思っていたかも知れません。
太平洋をヨットで横断(これは、ニュースキャスターが失敗して、救助されたとか)、ドーバー海峡の遠泳、とか
北極点踏破とか、100名山の一人制覇とか、いろんな挑戦が報道次元であります。
夫々には、報道カメラマンのクルーが付いているわけです、更に緊急時には救助のヘリコプターなど準備万端で行われているのですが、恰も本当に一人の勇敢な男の物語として報道されている。
総てがそうだとは言いませんが、報道の次元での「演出」を含めて、多くの人が扇動されてしまっています。
単に一般論としてそう思っているだけだと、自分も、そう思っていたのです。
人間の浅はかさ、傲慢さ、世間の底の浅さ、などが本当だったのです。挑戦することに対して、「その危険度などをキチンと諫めることのできる人」「更に、その危険度をキチンと説得する立場の人」「更に、渡航に当たっての行政を含め、公の立場の責任ある人たちの、責任の無さ(無責任)」。
これに輪をかけるのが、「金の亡者」(人を煽ることに生きがいを感じているマスコミ、旅行企画業者、実際の旅行業者等々)
何処にも、死を賭して山に登ろうとしている人に規制をかけても「金にならない、そればかりか「機会ロス」でしかないので、ジャンジャン煽り立てて金儲けをする」そんなのが『人間という生き物』です。
そんなに思えます。
最近、「IPCC1.5℃特別報告について」(RITE Today 2019)
で、著名な学識者の言葉があり、冷静な解説があった。
文末の言葉。
『とはいえ、CO2の排出を続ける限り気温は上昇し続ける。こうした状況は何としても避けねばならない。
気温上昇をどこかの時点で安定化させるにはCO2排出をゼロにすることである。
気候変動対策の目標として従来の気温上昇限度ではなく、「CO2排出ゼロ」とすべきで、そのための「技術開発」とその「商業利用」の「検討」を「各国が協力」して進めることこそ「我々が目指すべき方向」である。』
こう結んでいます。
少々というより、大いにがっかりです。
CO2排出ゼロを、遅くとも2050年までに世界が実現する必要があるというのに、その中心にいる有識者と自認して書いている論文が、この程度の「・・・目指すべき方向である。」と他人事のように結んでいるのは全く戴けない。
この有識者を含め、総ての有識者と言われ・自認している人たちは、「CO2排出ゼロ」という言葉の重みは十分理解しているはずです。
電気自動車に替われば良いのでしょうか? 家電が省エネ型になれば良いのでしょうか? そんな技術開発が目指す方向でしょうか? そうして企業が新製品を出して旧型の機種を廃棄して商業的に儲けが出る利用法でしょうか? 中国やアメリカなど大国と言われる様な各国が協力して目指していけばいいのでしょうか?
実際は、『社会生活全体が変わらなければならない』のではないでしょうか?
欧州などでも、政治運動として若者が動き出していると同じ様な次元の議論では、RITEの立派な論文というにはお粗末でしょう。
よく言われる「環境改善の有識者がジェット旅客機で世界中を飛び歩いている」と揶揄した表現がありますが、それ以下かもしれません。
さて私の今回の結論は、
「人類とはこんな程度のもの」「古代から始まった貨幣だけに目がくらんで、列をなしてエベレストに登って、ハーメルンの笛吹きに踊らされ滅んでいくのでしょう」。
最近は素晴らしい人生なんてあるはずがない、そう思い始めています。
では、
2019-5-30
森下克介
今朝(2019・5・30)のTV報道で、
「エベレスト登山の縦列画像」があり、その有様がいかに狂気じみているかを語っていました。
下に示す「エベレスト「死のゾーン」で「渋滞」」との記事をオンラインニュースで検索した。
https://www.afpbb.com/articles/-/3227109
記事の内容は御覧の通りです。
画面を見た一瞬は、夏の「弾丸富士登山」のニュースを連想しました。
しかし、これは違います。
嘗ては、今でも、命を懸けての行動でしょう。私もその実態を知りません。
もう少し若ければ、『チャレンジできるならやってみようか』とも思っていたかも知れません。
太平洋をヨットで横断(これは、ニュースキャスターが失敗して、救助されたとか)、ドーバー海峡の遠泳、とか
北極点踏破とか、100名山の一人制覇とか、いろんな挑戦が報道次元であります。
夫々には、報道カメラマンのクルーが付いているわけです、更に緊急時には救助のヘリコプターなど準備万端で行われているのですが、恰も本当に一人の勇敢な男の物語として報道されている。
総てがそうだとは言いませんが、報道の次元での「演出」を含めて、多くの人が扇動されてしまっています。
単に一般論としてそう思っているだけだと、自分も、そう思っていたのです。
人間の浅はかさ、傲慢さ、世間の底の浅さ、などが本当だったのです。挑戦することに対して、「その危険度などをキチンと諫めることのできる人」「更に、その危険度をキチンと説得する立場の人」「更に、渡航に当たっての行政を含め、公の立場の責任ある人たちの、責任の無さ(無責任)」。
これに輪をかけるのが、「金の亡者」(人を煽ることに生きがいを感じているマスコミ、旅行企画業者、実際の旅行業者等々)
何処にも、死を賭して山に登ろうとしている人に規制をかけても「金にならない、そればかりか「機会ロス」でしかないので、ジャンジャン煽り立てて金儲けをする」そんなのが『人間という生き物』です。
そんなに思えます。
最近、「IPCC1.5℃特別報告について」(RITE Today 2019)
で、著名な学識者の言葉があり、冷静な解説があった。
文末の言葉。
『とはいえ、CO2の排出を続ける限り気温は上昇し続ける。こうした状況は何としても避けねばならない。
気温上昇をどこかの時点で安定化させるにはCO2排出をゼロにすることである。
気候変動対策の目標として従来の気温上昇限度ではなく、「CO2排出ゼロ」とすべきで、そのための「技術開発」とその「商業利用」の「検討」を「各国が協力」して進めることこそ「我々が目指すべき方向」である。』
こう結んでいます。
少々というより、大いにがっかりです。
CO2排出ゼロを、遅くとも2050年までに世界が実現する必要があるというのに、その中心にいる有識者と自認して書いている論文が、この程度の「・・・目指すべき方向である。」と他人事のように結んでいるのは全く戴けない。
この有識者を含め、総ての有識者と言われ・自認している人たちは、「CO2排出ゼロ」という言葉の重みは十分理解しているはずです。
電気自動車に替われば良いのでしょうか? 家電が省エネ型になれば良いのでしょうか? そんな技術開発が目指す方向でしょうか? そうして企業が新製品を出して旧型の機種を廃棄して商業的に儲けが出る利用法でしょうか? 中国やアメリカなど大国と言われる様な各国が協力して目指していけばいいのでしょうか?
実際は、『社会生活全体が変わらなければならない』のではないでしょうか?
欧州などでも、政治運動として若者が動き出していると同じ様な次元の議論では、RITEの立派な論文というにはお粗末でしょう。
よく言われる「環境改善の有識者がジェット旅客機で世界中を飛び歩いている」と揶揄した表現がありますが、それ以下かもしれません。
さて私の今回の結論は、
「人類とはこんな程度のもの」「古代から始まった貨幣だけに目がくらんで、列をなしてエベレストに登って、ハーメルンの笛吹きに踊らされ滅んでいくのでしょう」。
最近は素晴らしい人生なんてあるはずがない、そう思い始めています。
では、
2019-5-30
森下克介
Posted by もりかつ at 09:48│Comments(0)