2017年11月23日
「アラン・ワイズマン」の著書
前略;
手許に、「アラン・ワイズマン」の著書 1、「人類が消えた世界」(2008・5)と、2、「奇跡のエコ集落;ガビオタス」(2008・12)があります。
残念ながら、まだきちんとは読めていないが、
1、「人類が消えた世界」では、人類がウイルス等で短期間に滅んだとしたら、地球はどうなるだろうか?
人類の悪行(放射能、プラスチック等廃棄物等)も時間がたてばそれなりのバランス点に到達し、50億年後の太陽の膨張によって消滅してしまうだけだろうと言うことのようです。
2、「奇跡のエコ集落;ガビオタス」では、1967年南米コロンビアに自給自足の炭素排出をゼロにした集落の実験を記述している。
設立時にもいろいろ有ったようですが、結局今でも現実の世界との間で人が往来し、色んな形で資金援助を受けて存続しているとのこと。
人類は、地球の生態系の中に生まれ、資源・エネルギーを乱用し、まさに「成長の限界」に付き当ってしまいさてこれからどうしたものか、と考える為の話題の提供と思う。
人類とは、地球にとってもたいした物ではない、さらに自給自足の生活をしようと思えばそこそこに出来るというようなメッセージにも思えますが・・。
実際は、このままでの時間経過を辿ると、温暖化は進み、最大の温暖化ガスである水蒸気等も爆発的に増え、最終的には「金星」の様に数百度の大気の惑星になってしまうということは、ほぼ多数の科学者が予測している。
可能性としてはそうならないかも知れないが、そうなる可能性が高いと言うことです。
人類がいる限り、このままでは、地球は破滅です。
次に、自給自足の炭素排出をゼロにする生活が出来るかもしれないが、ここで言われている通り、外部からの資金援助とその資金による物量などの購入支援が必要な生活が考えられている訳で、地球の破壊までの時間が少し先になるだけでしょう。
さてさて、誰がこれ以上の人類存続の方法を考えてくれているのでしょう?
わたしは、
やはり、「日本の戦後の貧しいなりに平和な田舎の暮らし」なら経験者の一人として、みんなと一緒に参加できるのではないか、と思います。
(頭の中では、封建制を除外した、「江戸時代の農民の生活」のような限界的生活をイメージしています)
当然そのときには、大井川州とした自治組織が同時に出来ていて、貨幣経済は今の為替によって大騒ぎさせられるようなことの無い、誰でも考えられる普通の通貨で、市場も地域内で形成される等々、ということになる。
台風や地震災害にはきっと脆弱で、場合によっては全員が滅んでしまうかもしれません、それでも仕方ありません。
何とか地球の生態系の維持が出来て人類がその中で存続死さえすれば良いのです。
きっと数千年・数万年・数億年は生きていけるでしょう。人間同士の戦争があればまた今のように世界が混乱してたちまち人類が滅び、生態系が破綻し、地球が金星のなってしまうでしょう。
それは予測できません。
とりあえずこんなところです。
では、
草々
2017-11-23
森下克介
手許に、「アラン・ワイズマン」の著書 1、「人類が消えた世界」(2008・5)と、2、「奇跡のエコ集落;ガビオタス」(2008・12)があります。
残念ながら、まだきちんとは読めていないが、
1、「人類が消えた世界」では、人類がウイルス等で短期間に滅んだとしたら、地球はどうなるだろうか?
人類の悪行(放射能、プラスチック等廃棄物等)も時間がたてばそれなりのバランス点に到達し、50億年後の太陽の膨張によって消滅してしまうだけだろうと言うことのようです。
2、「奇跡のエコ集落;ガビオタス」では、1967年南米コロンビアに自給自足の炭素排出をゼロにした集落の実験を記述している。
設立時にもいろいろ有ったようですが、結局今でも現実の世界との間で人が往来し、色んな形で資金援助を受けて存続しているとのこと。
人類は、地球の生態系の中に生まれ、資源・エネルギーを乱用し、まさに「成長の限界」に付き当ってしまいさてこれからどうしたものか、と考える為の話題の提供と思う。
人類とは、地球にとってもたいした物ではない、さらに自給自足の生活をしようと思えばそこそこに出来るというようなメッセージにも思えますが・・。
実際は、このままでの時間経過を辿ると、温暖化は進み、最大の温暖化ガスである水蒸気等も爆発的に増え、最終的には「金星」の様に数百度の大気の惑星になってしまうということは、ほぼ多数の科学者が予測している。
可能性としてはそうならないかも知れないが、そうなる可能性が高いと言うことです。
人類がいる限り、このままでは、地球は破滅です。
次に、自給自足の炭素排出をゼロにする生活が出来るかもしれないが、ここで言われている通り、外部からの資金援助とその資金による物量などの購入支援が必要な生活が考えられている訳で、地球の破壊までの時間が少し先になるだけでしょう。
さてさて、誰がこれ以上の人類存続の方法を考えてくれているのでしょう?
わたしは、
やはり、「日本の戦後の貧しいなりに平和な田舎の暮らし」なら経験者の一人として、みんなと一緒に参加できるのではないか、と思います。
(頭の中では、封建制を除外した、「江戸時代の農民の生活」のような限界的生活をイメージしています)
当然そのときには、大井川州とした自治組織が同時に出来ていて、貨幣経済は今の為替によって大騒ぎさせられるようなことの無い、誰でも考えられる普通の通貨で、市場も地域内で形成される等々、ということになる。
台風や地震災害にはきっと脆弱で、場合によっては全員が滅んでしまうかもしれません、それでも仕方ありません。
何とか地球の生態系の維持が出来て人類がその中で存続死さえすれば良いのです。
きっと数千年・数万年・数億年は生きていけるでしょう。人間同士の戦争があればまた今のように世界が混乱してたちまち人類が滅び、生態系が破綻し、地球が金星のなってしまうでしょう。
それは予測できません。
とりあえずこんなところです。
では、
草々
2017-11-23
森下克介
Posted by もりかつ at 15:32│Comments(0)